生え抜き大学職員日記

日々の中でふと思ったことを書いていきます。

読書記録:ヒトごろし(京極夏彦)

数ヶ月前に読んだのですが、記憶があるうちに書いておきます。

『ヒトごろし』(京極夏彦新潮文庫)を読みました。前回の『ヒトでなし』のシリーズとして、前段に位置付けられる作品のようです。

『ヒトでなし』は現代が舞台でしたが、『ヒトごろし』は幕末が舞台です。しかもかの有名な新撰組扱った作品です。

新撰組の小説って初めて読んだのですが、テーマとしてはとても人気があるものだと思うので、京極夏彦さんが書いたことに驚きました。なんとなく、有名なものは書かないイメージがありましたので…。

しかし、おそらくこれまで書かれている新撰組関係の小説と比べると、本作は異質な感じがするのではないかと思います。

副長の土方歳三を主人公にしているのですが、「もし土方歳三が殺人欲求を持っていたら…」という設定となっています。

殺人欲求というと最近流行りのサイコパス?と思い浮かべてしまいますが、本作の土方は殺人=犯罪という常識を理解しており、どうにかして合法的に人を殺そうとします。また、ただ単に殺すのではなく、刀で斬って殺すことにこだわります。内容や描写は暗い雰囲気なのですが、土方のひたむきで粘り強い姿勢は応援したくもなります。(目的が人斬りなので、それもどうかと思いますが…)

作者のインタビュー記事をいつだったかWEBで読んだのですが、新撰組は敵として斬った人数より斬った仲間の人数の方が多いんだそうです。そこに着目してこんなに完成度の高い作品にしてしまうのが作者の流石なところです。

なお、本作には作者の『今昔百鬼拾遺 鬼』に名前だけ登場したお涼さんというキャラクターが実際に登場します。他の作品との繋がりを思い出して読めるのも楽しいところでした。

読書記録:ヒトでなし 金剛界の章 (京極夏彦)

久しぶりに記事を書きます。

6月頃から仕事が忙しくなり、ブログを書くエネルギーがありませんでした。ただその間も読書は続けていたので、いつか記事を書きたい本だけ積み重なっていくという状態でした(汗)

という経緯で、実際に読んだのは少し前になりますが、『ヒトでなし 金剛界の章(京極夏彦新潮文庫)』を読みました。

京極夏彦さんには珍しい(?)、時代設定が現代の作品です。出版社による作品概要では、宗教エンタテインメントと記載されているとおり、宗教を題材にしています。

といっても既存の宗教についての知識や情報がたくさん出てくるわけではなく(京極夏彦さんだったらそういうのは簡単に書けそうですが)、むしろ宗教を作る側のお話です。

何もかも失った中年(より少し若い?)男性の主人公が、ふとした偶然が重なり宗教の教祖のように祭り上げられていく…といったストーリーでした。

自身をヒトでなしと認識する主人公は他人を救おうという気は一切ないのですが、何気ない言動が周囲の登場人物を救っていく様子が印象的でした。

想像ですが、作者が意図しているのは「宗教とは、あくまで受け手が救われたと感じて創り出すもの」「人間を救えるのは人間ではない」ということなのではないか…と感じました。

この作品は、主人公の心の変容(人間臭さをどこまで切り離すことができるか)がもう一つの大きなテーマとなっている気がします。今作ではそのあたりがまだ途中で終わっているので、続きが出るのを楽しみにしたいと思います。

読書記録:虚言少年(京極夏彦)

先週は、『文庫版 虚言少年』(京極夏彦集英社文庫)を読みました。

主人公は前回の『オジいサン』と正反対で、小学6年生の少年です。小学生が主人公の物語というのは、ズッコケ三人組とか少年探偵団(江戸川乱歩)とか、結構ありますよね。例が古いですけど。

ただ、京極さんの作品なので、絶対小学生ではない賢さとシブさです。作者も読者のツッコミを見越しており、本作では物語序盤に“小学生だけども便宜上、大人っぽい描写になる”ことのエクスキューズがあります(笑)

タイトルに「虚言」とあるので、何か子供が詐欺とかしちゃう危なっかしいお話なのかと思いきや、冒頭数ページを読むとわかるユルいお話です。小狡くて、オタクっぽい小学生が、バカなことをして楽しむために知恵を巡らせる…といった展開です。

ちなみに時代設定は昭和なので、多分私より歳上の方には懐かしいワードもあるかと思います。もしかしたら、作者と同年代の人が小学生だった頃の時代なのかもしれません。

主人公たちはバカなことをするのも見聞きするのも好きだという設定なのですが、そのバカというのが日常生活の中に見出す笑いといった意味合いのとても健全なもので、読んでいてほっこりしました。

もちろん当時の小学生がみんなこういう楽しみを見出していたわけではないでしょうし、私自身、小学校時代を振り返ってもこんなに頭を使って生きてなかったような…。

エアコンもネットもゲームもスマホもない時代設定ですが、そういう環境ならそういう環境なりに楽しく遊べるんだなあと改めて思います。

そんなこんなで、自分の子供の頃とは全然違うのですが、なんだか自分も小学生に戻ったかのような不思議な感覚になれる作品だったと思います。

読書記録:オジいサン(京極夏彦)

久しぶりの更新です。色々あってなかなか書く時間がとれませんでした。

『オジいサン』(京極夏彦、中公文庫)を読みました。

タイトルがちょっと不思議な表記で、京極夏彦さんなので、「もしかしたらホラー?」と思ったりもしたのですが、おじいさんが主人公ののほほんとしたお話でした。

京極さんの作品としてここまで平坦というか、平和的な内容なのは珍しい気がします。そもそも、おじいさんを主人公にした作品が今までなかった(これは、他の作家さんでも少ない気がしますが)ので、実験的な作品であるとは思います。

内容としても、おそらく好みがとても分かれるであろう作品だと感じました。私はとても面白かったのですが、小説に刺激を求める人には少し辛いかもしれません。

とても慎重で物事をよく考えるけど、ちょっと抜けてるおじいさんの平和な日常。クスリと笑える部分が散りばめられているという感じです。ラストが感動的なのですが、個人的には地デジのくだりが好きでした。

主人公がデフォルトで賢いのは京極作品の共通点なのですが、こんなに頭の働く高齢者っているんだろうか、と世の中の高齢者に失礼ながら思ってしまいました。でも、こういう一本芯の通ったおじいさんにいつかなりたいものです。

読書記録:死ねばいいのに 文庫版(京極夏彦)

『死ねばいいのに 文庫版』(京極夏彦講談社文庫)です。ちょっと電車で読むには勇気がいるタイトルなのですが、とても面白かったです。

主人公のイマドキっぽい若者が、死亡したとある女性について関係者に尋ねて回る…という小説です。

主人公は口調やら態度やら、いわゆるヤンキーっぽい割と失礼な若者なのですが、語ることはドが付く正論。一見まともそうな大人達を次々に論破していきます。タイトルの意味は…読んでみてのお楽しみです。

読んでいて爽快な気分になり、あっという間に読み終えてしまいました。設定的には頭が悪い主人公なのでしょうけど、京極夏彦さんが書いてるとやはりというか、むしろ「いやいやこの人すごい頭いいじゃん…」と感じてしまう(笑)京極作品のキャラクターはみんな超論理的ですからね…。

主人公も魅力的ですが、対する大人達もまた、まともそうに見えてそれぞれが心理的な囚われを抱えており、その描写も鮮やかです。

きっと作中に書かれるような心情は誰もが感じるであろうものですし、そこから自分で自分を縛ってしまう人も多いんだろうなと思います。

自分の幸福は自分が考えて決めるもの。自分が苦しいと感じてることは、実は世の中の誰にも当てはまることで、自分の考え方次第でどうにでもなる。そんなメッセージを感じました。

京極夏彦さんは作品数的には過去や未来の小説が多いのですが、この作品のような現代を舞台にしていても、根底には誰もが陥る人間の弱さや、弱さへの向き合い方を示すようなお話が多い気がします。

読書記録:遠野物語拾遺retold(京極夏彦×柳田國男)

以前読んだ遠野物語の続きで、『遠野物語拾遺retold(京極夏彦×柳田國男、角川文庫)』を読みました。

この作品は、『遠野物語remix』と同様に、昭和10(1935)年の『遠野物語拾遺(柳田國男)』を京極夏彦さんが文体・順序等を調整したものです。

前作remixと同じく、非常に読みやすくなっており、内容もボリュームアップしています。remix(遠野物語)では、お化けや神様の話が多かった印象ですが、拾遺には原因不明の怪異も多く収録されている気がします。

個人的に面白いと思ったのは、子供達と遊びたがる仏像の話です。仏像で遊ぶ子供達を大人が神仏を大切にしなさいと注意してやめさせると、「子供と遊びたかったのに余計なことをするな」とその大人の方に罰が当たるという話です。

普通は神仏を大切にすることで褒められそうなものですが、逆なんですね。その他にも踊りたいと暴れる権現様など、なんとも人間臭い神様達が登場します。

日本には八百万の神様がいるなんてよく言いますが、神様によってご機嫌のポイントが違うものなんですね。ということは、当時の遠野の人々は関わる神様全ての性質をよく知っていないとうまく生活していけなかったということで、それもそれで神経を遣いそうだなあ…なんて私なんかは想像してしまいます。

それにしても、遠野物語を読むと、柳田國男を魅了した遠野という地に一度でいいから行ってみたいなあと思います。今風に言えば「聖地巡礼」なのかもしれませんが、遠野物語は明治に刊行されて長い時間が経っていますから、きっとこれまでも同じ気持ちを抱いた多くの人が訪れたんだろうなと思います。

雑草掃除

休日だったので、久しぶりに庭の雑草掃除をしました。我が家の庭は、人工芝を敷いているのであまり雑草は生えないのですが、人工芝の端の隙間から雑草が生えてきて数週間おきに抜かないといけません。

作業中、人工芝を隅までもう少しきれいに敷けていたら、雑草も少なくなるのかな…なんて考えました。今の芝は私と奥さんで敷いたものです。結構うまく敷けたつもりですが、素人なのでやはり隙間はあります。雑草からすれば充分なスペースなのでしょうね。でも、専門の業者に頼んだら費用も高そうですし、悩ましいところです。

それにしても、雑草魂なんて言葉がありますが、ちょっとした隙間があれば生えてきますし、あっという間に大きくなるので、彼らの生命力はすごいなあと感心します。

庭に生えるのは主にドクダミなのですが、今回は初めてカタバミも生えました。以前家紋を調べたときに、自分の家の家紋がカタバミだったので頭の片隅にあったのですが、実際に見るのは初めてでした。カタバミは生命力が強いため、子孫繁栄を願って家紋に使われたそうですが、確かに生命力強い。昔の人は洒落たことを考えますね。なお、今日はためらいなく抜きました…。

雑草は根っこから抜かないと完全に取り除けないのですが、まだ生えたばかりで小さいとなかなか根っこまで持ち上げられないため、今回はしばらく大きくなるのを待っていました。その効果もあり、今日は全体の半分くらい根っこから抜けた気がします。

それにしても、1人で黙々と作業するのって好きだなあと思います。仕事ではなかなか1人でやる作業って少ないので、こういう時間は癒しになります。これから暑くなるので、気をつけながらまたやりたいと思います。